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今こそ、兵戈無用(ひょうがむよう)

  • 執筆者の写真: 超願寺の中の人
    超願寺の中の人
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兵戈無用-仏教徒の歩む道をたずねて―


この三年、テレビのニュースは、ロシア・ウクライナの戦争やイスラエル・パレスチナ・イランの戦争の修羅場を放映しない日がありません。21世紀だというのに何としたことでしょうか!

 ウクライナ軍では、この6月までに死傷者が40万人に達したといい、驚くべきことに、侵略したロシア側でもなんと100万人からの死傷者がでているといいます。

事の発端は、プーチン大統領のドンバスでの特別軍事作戦にあるわけですが、彼の理屈ではNATO軍がロシアを恫喝しているので反撃にでたのだといいます。母国ロシアが攻め込まれる恐れにおびえてのことのようです。

 これを教訓とすべしとばかり、最近わが国もロシアや中国を仮想敵国として、専守防衛から敵基地攻撃能力の保有へと軍備の増強を進めています。「そなえよ、つねに」ということでしょうか。これは憲法9条の戦争放棄を骨抜きにする政策といわねばならないでしょう。アメリカとの安保条約があるからといって、商売人のトランプ大統領のことだから、いつ気が変わるか分からない、一刻も早くわが軍隊・軍備を増強しなければならない、ということなのでしょう。


 ちょっと待ってください!仏様にうかがってみましょう!

お釈迦さまは『大無量寿経』のなかで次のように語られています。

「兵戈無用」兵は兵隊。戈はホコ、つまり兵器です。軍隊や軍備は無用、いらない、と言われます。軍隊軍備のいらない世界は「国豊民安」、その国は豊かで人々は安らかに 生活している、と言われるのです。

 それは理想であって、現実はそんな甘いもんではない、と誰だって思いますよね。


ところが、よく考えてみれば、「なるほど!」となるはずです。「兵戈無用」がもっとも犠牲者を少なくする道なのです。

軍隊・軍備がなければ、外から攻められてきたときは、白旗をあげるほかありません。でも、それによって戦火は止むことになります。味方にも敵にも戦死者はでません。

さあ、その後の行動が大事になってくるのです。敵は勝者として彼らに都合のよい政策を圧しつけてきます。そのときにこちら側は暴力を使わず、団結して徹底的にストライキなどで不服従を貫くのです。支配者権力者は、住民の非協力のために期待した成果があがらないと、怒って、見せしめに住民を処刑するかもしれません。そこで犠牲者がでることになりますが、それでも戦争をしたばあいの死傷者数に比べれば、雲泥の違いになるでしょう。犠牲者が増えれば国力にも影響がおよんできます。いつまでも非協力が続くと、支配者権力者は諦めて去っていかざるを得ないのです。

このように武器を持たずに防衛する道があることを、お釈迦様が教えてくださっています。

「でも、それは机上の空論でしょう?歴史上そんな方法がとられた例があるのですか?」と問われれば、「はい、あります」と胸を張って答えることができます。

インドのマハトマ・ガンジーは、イギリスの植民地だった母国を、非暴力不服従運動によって1947年に独立させました。そのときチャーチル首相は、大英帝国の版図が音を立てて崩壊してゆくのを目撃し、「たった一人の粗末な白衣をまとった小男にイギリスが敗れた。」と言ったとのことです。

 

 このような非暴力による運動は、近年アメリカの政治学者ジーン・シャープ氏に引き継がれ、セルビアやリトアニアの独立運動の指針となり、その成功に大きく寄与したと言われます。

 私ども仏教徒は、軍備を捨てて、お釈迦様の教えてくださる「国豊民安 兵戈無用」の世界の一人でありたいものです。                        

(住職 筆)


 
 
 

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